なぜ「神戸」を「こうべ」と読むのか?
物心ついた時から「神戸」は、なんの疑いもなく「こうべ」と読んだり書いたりしていました。
でも一般常識的に読むと「かみと」となりますね。
そこでなぜ「神戸」が「こうべ」なのか調べてみました。
生田神社HPより引用
伊勢神宮におまつりされいる天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の御幼名とも天照皇大神の妹、大日女(おおひるめ)ともいわれています稚日女尊(わかひるめのみこと)が主人公として登場してきます。
日本書紀神功紀摂政元年2月の条に 西暦201年に神功皇后が三韓外征の帰途の時に、神戸港で船が進まなくなったため神占を行ったところ、稚日女尊(わかひるめのみこと)が現れ「われは活田長峡国におらむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ」と記されています。
(生田神社すぐ下JRの線路沿いで北長峡通りと言う住所が残っています)
この生田の地が今の生田神社なのです。
朝廷より神地神戸(カンベ)「神社にお供えするお米、お酒等を作る庄園」をたまわっており、平城天皇の大同元年西暦806年には「生田の神封四十四戸」と日本書紀には記されています。
この神戸(カンベ)が中世、紺戸(コンベ)と変わり近年、神戸(コウベ)となった様です。
実に現在の神戸の地名は、生田神社の神戸(カンベ)のあった所より発祥したのです。
稚日女尊(わかひるめのみこと)は現在の生田神社におまつりされております。
ついでに「三宮」の地名についても調べてみました。
今では繁華街の代名詞のようになっていますが生田神社に関係していました。
生田神社の裔宮(えいぐう)関係のある神社。
神戸には、一から八の数字のつく神社があります。
この八社は、生田神社の裔宮(つながりのある神社)であると考えられています。
それらの神社を中心に、一宮・二宮・三宮・四宮・五宮・七宮の集落が開けていきました。
六宮と八宮は楠町2丁目(大倉山の南)に合祀されています。
当時の三宮神社が三宮の地名になったのです。
神社には、戦後に政教分離が図られるまでは、はるか昔から連綿と国家・行政機関による干渉が政治・行政の一環としてなされ、様々な社格が付与されました。
神社の中で最も国司等が重要視したのが一宮。
格式が高い順番に一宮の次に二宮、三宮・・・と続きます。
そうゆう意味では三宮はその当時は三番目にランクされていたことに
なりますね。
阪神淡路大震災により全壊の憂き目に遭いましたが地元有志によりまして見事に復興致しました。
神戸の発祥の地がよみがえったことに感謝致します。